コミュニティ


【パッククッキング:災害食】
(育児をきっかけに、食に対する安全に関心を持ったAさん。)
「○○の病気には○○がよい。」
「食べる食材は無農薬」など、健康に気配りし子育てをしてきました。
2016年4月、熊本地震で被災した時、思考がガラッと変わったAさん。
「被災して水も電気もないときに、身体に悪いから食べちゃダメ、と言ってたら死んじゃうよね。それよりも、もし、子供が一人で露頭に迷っても生きていけるようにしてあげなくてはと思ったの。」
「被災したときに、あたたかいものを、食べたかった。」
少しの水とカセットコンロ、ポリ袋を使い、あたたかい食事が食べれるよう、災害食として調理実習を開いています。

【熊本地震の本震直後から、被災地での2つの光景】
(小学校を避難場所としていたBさん)
避難1日目に家族4人に与えられた食事は500mlのペットボトル水が1本だけでした。
近所の公園に家族で移動しようとしたところ、自治会長に「公園を避難所とすると自治会で責任が取れない」と断られ、小学校での生活が続きます。
トイレは水が流せず、悪臭がし、空腹、疲労で精神が病んでいました。
配給される物資を得るために、行列に並びました。

(近所の公園を避難所としたCさん)
Bさんの近所の公園には、地域の人たちが集まり、一つの集落となりました。
男性陣は近くの竹やぶへタケノコ掘りに行き、地元の飲食店などから調理器具や食材を調達、遠くから知人が米や野菜を届けてくれました。テントを張り、水は井戸水を利用し、トイレは紙おむつなので衛生的でした。みんなで協力しあい、食事には困らなかった。
そして、なぜか皆が前向きであった。

対象的な避難生活ですね。他者の協力がないと生きていけない状態は同じですが、何か違いますよね。
前者は、自立できないまま、依存傾向がある状態。他者は政府や支援団体。
後者は、協力しながら生活している。依存傾向ではなく、それぞれが力を出し合い、補うが自立の方向へ向いている。他者は地域のコミュニティ、知人や友人。

熊本地震以降、子供目線での活動が増え続けています。
子どもを持つ親として、シンプルに生きていくために必要なものを直観的に感じた人たち。
モノをつくることの大切さ。
衣食住を整えること。
コミュニティ(これは円ではなく、ご縁で繋がる人とのかかわりです。)
日本人は素晴らしいモノ作りが出来ますが、便利といわれるモノは、人間らしい生活とは真逆のような気がします。息苦しい場を作ってしまう。そして、「○○が良い」と聞くと群がる光景が、先の避難所の話と似ているなあと思いました。

崩れても、原点に戻り、作り、再び生きる、生命力ってどんなものかを少し感じることができた。

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